人間何が良かったかなんて解らないものです。
グレコのギターを自分で売ってみたいという気持ちだけで
神田商会を飛び出してロックハウスポパイを創業しました。
後先考えないで今から思えば良くやったなと思います。
神田商会に入って当時の社長からリペアをやってみろと言われましたが
余り乗り気がしませんでした。
と言うのも神田商会は営業中心でリペアは給料泥棒で
営業が食わしてやってるみたいなイメージで
営業の人にも面と向かってそんな事を言われたりもしました。
その頃はまだ若かったのと物事を大きく見る目が全くなかったので
リペアなんて価値のないものだと思い込んでいました。
神田商会のリペア部門はその当時企画と並び社長直属の部署で
神田東洋ビルの最上階12階にありました。
100坪のフロアに社長室、経理部、企画室、ショールーム、リペア部門が入っていました。
ショールームを含む3分の2のスペースをリペア部門で管理していました。
今思えば大変恵まれた環境の中にいた訳で
営業の人たちから見れば羨ましかったのかもしれません。
そういった人達の気持ちが解らない自分は全く周りが見えていなかったと思います。
余談ですがグレコMRn-140Rが再生産でリバイバルしましたが
MR-nのカタログに名前が出てくる奈良さんや
現社長の横山さん、櫻井さんとは同じ時代を神田商会で過ごしました。
私にリペアの事を色々教えてくれたのはその当時楽器業界でも有名な
ギタービルダーの斉藤さんでした。
日本のジョニーキャッシュと呼ばれた人です。
当時斉藤さんの友人で瀬谷さんという方が良く訪ねてきて
私も斉藤さんから紹介して頂きましたが
カントリー系は全く興味がなかったので
人の良いおじさんのところへ
人の良さそうなおじさんが訪ねてくる位にしか思いませんでした。
つまり斉藤さんの人脈や実力の凄さを全く知りませんでした。
私が22歳、斉藤さんが36歳でした。
愛妻弁当に自分で入れたアメリカンコーヒーが定番でした。
私もこの会社でどうでもいいリペアの仕事をして年を取っていくのかな?
などと思っていました。
ある意味斉藤さんをそんな目で見ていたのかもしれません。
斉藤さんは穏やかな方で私に親切に対応してくださいました。
私は望月と言いますが
もっちゃんギターのリペアが出来ればこの業界で喰いっぱぐれる事はないよ
騙されたと思って頑張ってみな
といつも言ってくれました。
斉藤さんを凄い人だと尊敬するようになったのは、ギター製造工場に行った時
工場の職人さんとギターについて対等に話をするのを現場で見聞きし、
リペアでも自分にとっては難しくて出来そうもない木工系のリペアを簡単にやって見せたり
また神田商会に来社する外国のお客様と流暢な英語で
会話するのを見るようになってからでした。
斉藤さんにはギターについて色々教えて頂きました。
その経験がロックハウスポパイが長く続いている理由かもしれません。
ロックハウスポパイ
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11:00〜19:00 不定休